『タタール人の砂漠』 ブッツァーティ
岩波文庫というとお堅いイメージがあって敬遠しがちだけど、本作はかなり読みやすい。
それに、岩波文庫を読むたび思うのだけど、解説がいい。読後の振り返りに参考になることがギュッと詰まっている。
とはいうものの、私の場合、どちらかというと読み始める前に解説を読むことが多い。1ページ目からいきなり作品の世界観に没入できることはまずなくて、ぼんやりしながら読むとせっかくのおもしろい作品がつまらなかったとなりそうなので、ネタバレにならない限り解説は事前に読むようにしている。
さて、この『タタール人の砂漠』。
なんかもう自分の人生の縮図を見ているようで、たまらなく切なかった。
同時に、ストーリーが進んでいく場面場面で、同感、共感、そうなんだよね、わかるわかるの連続。
主人公のジョヴァンニ・ドローゴが真新しい中尉の軍服に身を包み、意気揚々と任地に赴く姿は、社会人1年生の自分とダブる。
職場でルーティンワークをこなし、何事もなく1日を終えることを良しとする一方、何の変化もない日々に不満を感じたりもする。
今にいいことがある、自分を最大限生かせるプロジェクトに抜擢される、周りがあっと驚くようなすごいことをやってやる、ピンチをチャンスに変える、一気にスターダムを駆け上がるなどなど、若い頃からずっと、多分みんな、程度の差こそあれそう思ったことがあるはず。
60を過ぎた今、ドローゴの上官が口にする言葉にハッとさせられる。
「私だって、できることなら君たちのようにするんだが・・・でも、残念ながら今となってはね」
もう年だからって言ってるのだけど、まだ若い、まだまだ時間はあると思っている若者だっていずれ年をとる。いつまでも若くない。
期待が裏切られるのを恐れて、最初から向き合わないのはまちがっている。なんて綺麗事はいわないけど、少なくとも目の前のこと(いいことも悪いことも)から目を逸らさず、真正面で受け止めたいし、そうしないと後悔すると思った。
ドローゴは人生そのもの、人の一生を具象化したものだった。